アイロンをかけながら、夕方のニュースを見ていたときのこと。
テレビ画面には、ランドセルをスーツケースのようにコロコロと引っ張って歩く小学生の姿が映し出されていました。
「ランドセルが重い」問題を解決しようと現役の小学生がアイデアを出し開発された「さんぽセル」という商品。背負わずに運べるキャリータイプでベルトで固定するという手軽さから注文が殺到しているという。
アイロンの手が止まり、私の目はテレビに釘付けになりました。
そして、長女が小学校低学年のときの記憶が蘇りました。
一緒に時間割を揃えていたときのこと。教科書とノートを全部詰めると、ランドセルがパンパンに膨れあがりました。片手で持ってみるとずっしりとした重さがあります。ランドセルを体重計にのせると5㎏ありました。長女がランドセルを背負うとベルトが肩に食い込み、歩くと後ろに倒れそうです。
体重20キロの子どもに5キロのランドセルを背負わせていいものか。
折よく保護者会があったので、同じような考えの保護者がいるはずと思い、思い切ってこのことについて声をあげました。ところが他の保護者からの反応は薄く、私に同調する人は一人もいませんでした。
担任の先生が口を開き「確かに重いですよね。たまに保護者の方からそういうご意見があります。でも子どもはたくましいもので、そのうち慣れますよ」と諭すようにおっしゃいました。
何だか私だけ超過保護な親みたい。もうそれ以上は何も言えなくなり、すごすごと引き下がりました。
長女には、宿題がない教科は学校に置いてくるようにアドバイスしましたが、それも先生によって阻止されました。「置き勉禁止」なるルールがあるらしく、先生が放課後になると、秘密警察のように全員の机の中をチェックするというのです。
先生、なぜそこまでやるのですか?
目をつぶってくださいよ。
結局「ランドセルが重い」問題は、長女の成長という時の経過を待ってしか解決できませんでした。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の言葉どおり、長女の身体が大きくなると私はそんな問題などすっかり忘れてしまいました。
しかし、あの「ランドセルが重い」問題は、十数年経った今でも、なくなってはいなかったのです。
小学生が考えたという「さんぽセル」。背負わずに引っ張ればよいという発想に思わずヒザを叩きました。
そしてあの頃の自分を恥じました。
大勢の中で一人浮いてしまうことが怖くて、私は結局何一つ行動を起こせませんでした。
それに引き換え、小学生の彼らは、問題と真摯に向きあい、解決に向けて行動を起こしたのです。さらに大人を巻き込んで商品化までこぎつけるという偉業をやってのけたのです。
頭が下がります。
ところが、そんな小学生の彼らに大人から批判の声が寄せられていると聞いてびっくりしました。
主な批判内容は、以下の通りです。
「カートを引っ張るのは危ない」
「足腰が鍛えられない」
「両手が塞がるので危ない」
うーん。現状維持バイアスがかかっているなぁと思いました。
現状維持バイアスとは、変化を避け、現状を維持している方が安全だとする偏見です。何かを変えようとしたり、新しいことを始めようとすると、たいていこうした批判が起こるものです。
しかし、こうした現状維持バイアスは、世の中の風潮が少し変わると、急に風船がしぼむように小さくなることがあります。
たとえば、その一つがハンコです。少し前まで、ハンコは絶対的な存在でした。会社の提出書類や荷物の受け取りにも必ずハンコが必要でした。でもみんな心の中では、100均でも買えるハンコを押すことにどれくらいの意味があるのかと薄々疑問に感じていました。
新型コロナウイルス感染症の拡大し、在宅勤務体制へと移行しました。捺印手続きのために出社しなければならない事態に直面し、多くの会社で印鑑手続きが廃止されました。長い間、ハンコを押し続けてきた歴史を思えば、それはあまりにもあっけないものでした。
またAmazonも、荷物の受け取りの際のハンコを不要にしました。さらに進んで置き配のシステムも導入しています。
おそらく社内では、現状維持バイアスによる批判があったと思います。しかし、それでも一歩前に踏み出し、不都合が生じる可能性も受け入れて、新しい道を歩みだしたことは勇気ある素晴らしい行動です。
メーカーの新商品開発でも、現状維持バイアス批判は多いそうです。
興味深いのは、会議で批判が多いものほど、大ヒット商品が生まれやすいという事実です。
話を「さんぽセル」に戻します。
「さんぽセル」を考えた小学生は、大ヒットなんか望んでいませんでした。
彼らはこの問題を知ってもらおうと文科省の大臣や総理大臣に「さんぽセル」をプレゼントします。
そして、こう言いました。
「この行動の意味を深く考えてください。
さんぽセルが必要ない社会をすぐ作るから、いらないよも大歓迎です」
彼らは「さんぽセル」を流行らせたいわけではなく、現状維持バイアスから身動きとれない大人への挑戦状として「さんぽセル」を作ったのです。
大人は、この挑戦状をしっかり受け取り、現状維持バイアスのぬるま湯から抜け出して適切な答えを見つけようと努力しなくてはなりません。
もし、あやふやにしたり、おざなりな対応でお茶を濁そうとするなら、大人は子どもから徹底的に軽蔑され、二度と信頼されることはないでしょう。
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